ISBN:4480842578 単行本 西 研 筑摩書房 2001/06 ¥2,625
哲学書を読む癖がついたのは、大学生の頃だった。分からずに頁をただひたすらめくっていた。「自我」だ、「理性」だ、「悟性」だ、「先験的」だという、まるで漢文みたいな語がぐるぐる回り続けるだけで、ほんとうに理解できたかというとはなはだ怪しい。
有名どころは文庫本で買いそろえたが、結局、頁をめくっただけだったのだろう。
しかし、こんないい加減な読書でも、10年以上続けていると、本の内容の断片が、「あっ!」とひらめくように理解できる瞬間が、時折、訪れる。
そして、2004年、僕は、この本と巡り会った。
「哲学的思考」などというタイトルを見た瞬間に、30cmほど腰がひけそうになる。硬い! しかもページ数は400頁もある。う〜ん。この本は売れたのだろうか? とまず最初にそんな、どうでもいいことが気になるのだ。しかし、僕はこの本の内容のすべてを肯定する訳ではないが、こういった本をしっかり読む人がたくさん現れてくれればいいなと思う。
この本の帯には「考えあうことの希望」とある。本書は、フッサールの現象学を通して、考えるとはなにか? また考えあうこととはなにか? をとても平易に解説している。

「しかしいま、思想の営みは貧しく、広がりを失っていると思う。思想誌はいくつか存在しているかもしれないし、思想家と呼ばれる人たちもいないわけではない。しかし日々を生きるふつうの人々のなかに、思想というものが生きているだろうか。考えあうことへの希望と信頼が生きているだろうか?
 若い人たちの多くが、『人それぞれですからね』とよく口にする。もちろん、趣味のようなものは『人それぞれ』でいいのだし、またそうでなくてはならない。でも、私の生のなかには、共通な困難、共通な課題も確かに存在している。社会という共通な場面だけでなく、私たち一人一人の個人的な生の中にも、共通な困難は存在している。それを取り出してともに考えあうことができるなら、そうした営みは私たちのあいだにつながりの感覚と希望をもたらすかもしれない。だが、『人それぞれ』という言葉は、そうした思想の営みを中断する。というより、ゲームに乗ること自体をやんわりと拒否するのだ」
(本書より引用)

本書は難解なフッサールの現象学を平易に解説しているだけでなく、フッサールの周辺の哲学者についても同時に多くの解説を含んでいて、読後、19世紀から20世紀の西洋哲学についての理解を助けている。
簡単な本ではない。しかし、フッサールの翻訳をいきなり読むよりも、まずこの本を読み、フッサールや他の哲学者の書に向かった方が、理解しやすいと、僕は考える。哲学に興味がある人だけでなく、誰もが考えるであろう、「なぜ、人と意見が合わないのだろう?」、「僕は、ほんとうに他人とまったく同じように考えているのだろうか?」、「僕の(わたしの)言葉は、ほんとうに人に通じているのだろうか?」などという疑問が胸や頭に浮かび上がることがあったら、まず手にとってもいただきたい本だ。必ずあなたは、この本の中に、解決の糸口を見つけることができるのだから

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